哲学

「得と損」

『季寄せ 草木花』という本がある。朝日新聞社から1980年頃に出された、春夏秋冬の季節ごとに咲く木・花の色や特徴を記した本(俳人向け)だ。

私が20代のころ、長い時代小説を書こうとしていた時期に、
(だれも知らないような木や花の名前を使って情景描写をしたら、けっこう恰好いい文章になるかも…)
などと思って全巻(全7冊)を一気に購入したが、結局使ったのはワンシーンのみで、あとはまったく本を見開くこともなく時が過ぎた。

7冊もあってやたら本棚のスペースをとるので、いつかの引越しの際にさすがに処分してしまった。が、最近(2年程前)、自宅の近所の古本屋でたまたま店先に全巻そろって売られていたのを見かけ、なんだかとても懐かしくなり、勢いで再び買った。

値段は3000円だったと記憶している。買って家に持って帰るや否や、私はすぐに後悔した。すばらしい本なのだが、やはり全7巻の大型本は置き場に困るのである。

なんとか書棚の片隅に押しこんだが、私は結局以前と全く同じ葛藤を抱えることになった。
(せっかく再購入したが、やはり1LDKの部屋には少し邪魔くさいなぁ…)

私は年末の大掃除の際、ほかの数冊の処分したい本と一緒に、『季寄せ 草木花』の全巻も近所の古本屋に持参して買い取ってもらうことに決めた。さすがに購入した元の古本屋に持っていくのは気が引けて、もう一つの別の古本屋に行くことにしたのだが…。



運悪く、その店は午後しか開いていないという変わった古本屋で、営業時間外であった。古本を詰め込んだ重い紙袋をまた家に持って帰るのも大変で、私は仕方なく元の古本屋に買い取ってもらおうと決断した。

(さすがに古本屋の店主にバレないとは思うが…。2年前に3000円で買わせてもらった本を、同じ店でいくらで買い取って貰えるのか、それは少し興味深い)

不安と少しの好奇心を抱いて、私は古本屋に入っていった。応対したのは、以前買ったときの店主ではなく、見知らぬ中年男性の店員だった。私は少し安堵した。

しかし彼は私が渡した紙袋の中味を注視するや、渋い顔をして、
「これは買い取れないねえ…」
と言った。値段がつけられないほど価値がない、ということだ。さすがに「2年前にここで3000円で買わせていただいたんですけど」とも言えず、私は途方に暮れた。売る気満々で来たのに、またこの重い紙袋を家に持って帰らねばならないのか…と。

そんな私の表情を見たその男性店員は、哀れに思ったのか、
「全部で200円なら、買い取りますけど…」
という譲歩案を出した。3000円だった本+別の数冊合わせてたったの200円か…と私は情けなくなったが、また重い紙袋を家に持って帰る大変さと天秤に掛けて、
「200円で構わないです。よろしくお願いします」
と答えた。



重い紙袋と引替えに200円を手にした私は、妙に軽やかな気分になり、そのまま駅前に出た。ちょっと日常の買い物でもしていこうと考えて歩いていると、ふだんは何も無いはずの場所に「からあげ」の出店が出ていた。なんとも旨そうな唐揚げの香りが辺りに漂っている。

「唐揚げ100グラムで、五百数十円~」という何とも曖昧な値段表示が少し気になったが、先程200円の臨時収入があって気分が大きくなっている私は迷わずに買ってみることにした。

ふつうの醤油味の唐揚げに加え、ハニーマスタード味やチーズカレー味など珍しい味の唐揚げもあったので、合わせて10コほどの唐揚げをパックに詰めてもらった。計量して価格を出してもらうと、なんと2900円だった。

1コ300円近くもするのか…と、私は開いた口が塞がらなかった。自分で命じて容器に詰めてもらった唐揚げを、いまさら売り場に戻してもらうわけにもいかず、泣く泣く2900円支払った。

本を売った200円によって私が変な心の余裕をもって唐揚げを買ってしまったことを考えれば、私はひとつの本をめぐって、トータルで5700円ほど損していることになる。『季寄せ 草木花』、私にとっては何とも因果のある本である。

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