哲学

物の寿命について

台所の下に敷いて、皿洗いの時に飛び散る水が床に落ちるのを防ぐキッチンマットが、近ごろ少し古びてきていた。

これは買い換え時かもしれないと、ちょうど近所の雑貨屋でポイント還元セールをやっていた日を「好機」と見て、新しいのを買ってきたのだが…。

ややサイズを間違えて買ってしまったのか、帰宅して実際に敷いてみたら以前のものよりだいぶ小さかった。この小ささでは撥ねた水を防ぎきれないじゃないか…と、結局もとの古びたマットを再度引っぱり出してきて、しばらく使うことにした。

(ポイント還元セールについ誘われて、物の寿命を見誤ったか…)

私は判断を早まった自分を悔いた。不思議なもので、まだ使える物があるのに、「ちょっと古びてきたから」とか「近所でセールがあったから」といった理由で新しく買い換えると、かなりの確率で私は失敗する。

逆に、もう使えないくらい疲弊した物や壊れた物を買い換えた時は、今まで使っていた物よりも明らかに品質が良く、使いやすい物と「運命的な」出会いをすることが多い。

おそらく物が人の生活を助け、支えてくれる期間というのがあらかじめ運命のように決まっていて、(まるで友人やパートナーのように…)その役割をまだ終えていないのに新しい物と買い換えてしまうと、古い物の機嫌を損ねるのか、自分に合っていない物を買ってきてしまうことが多くなるのだろう…。

そう考えると、人と物の関係は、人同士の関係とどこか似ている。ともに成し遂げるべき何かを終えたとき、自然と切れていく人との縁がある。また、互いに歳をとり、古くなってもどこか互いに果たすべき役割があって一緒にいる仲もある。文筆家が生涯使いつづける万年筆、野球選手がボロボロになるまで使うグローブなど、互いの特徴を何もかも知り尽くした「古女房」のような物との関係性もある。

なんだか物についてをきっかけに、しみじみとした深い話になってしまったが…。やはり人の生涯、「古女房」のような何十年と付き合える物といくつ出会えるか、が重要である。長い歳月を共に歩んだ家具や文房具は、もはや「古女房」という表現がふさわしいほど親しみ深いものだ。

しかし、物の「古女房」はいくつ持っていても良いが、男の生涯、女性の「古女房」は一人であるべきである。

 

 

 

 

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